2歳・3歳の頃、視線が合わず、言葉も遅かった長男。
そんな彼が5歳になり、参観日で母に「できたよ」の合図を送ってくれるまでに。
成長を感じたできごとを書きました。
2歳・3歳で目が合わない、言葉が遅い…発達に不安を感じた日々
2歳、3歳の頃の長男は、本当に何を考えているか分からない、言葉は悪いかもしれないですが宇宙人と暮らしているような感覚でした。
その頃は、単語が少しずつ出るようにはなっていたけれど、会話なんて到底できず。
目も合いづらく、いつも自分だけの世界を生きている感じがしていました。
私が一生懸命話しかけても、目も合わせてくれなければ反応もない。
私はオブジェですか?
母の声、生活音になっちゃってますか?と
いつも虚しい気持ちでいました。
公園や児童館に行くと、同じ年頃の子どもたちは、何か見つけるとママを見上げて共感したいという視線を送ったり、不安なことがあれば安心を求めてまた視線を送ったり。
私はその視線が、喉から手が出るくらい欲しかった。
他の子と比べて欲しがるなんて、と長男に申し訳なく、また情けなくもなりました。
この子は普通の子と違うのかもしれない。
そう思い始めた時期でもありました。
発達センターの親子教室に行ったりと少しずつ動き始めてはいましたが、なかなか爆発的な成長も見られず。
長男と2人、少し離れて歩きながら、暗いトンネルを歩いているような感覚でした。
私の育児ってずっとこのままなの?
と漠然とした不安を持ち続けていました。
年中の参観日で見えた「心の成長」
そんな不安しかなかった頃から約三年が過ぎました。
年中になってから2回目の参観日。
体育館で縄跳びをする子どもたち。
そっと気づかれないように入室したつもりでしたが、長男はすぐに気づいて、とても嬉しそうな表情で手を振ってくれました。
「縄跳び30回跳んでみよう!」と先生。
大きく後ろから振りかぶり前方の床にバチン!と叩きつけ、そっとその縄を跨ぐ。
お世辞にも全然できていないんです。
でも1回跨ぐごとに、遠くにいる私を見て頷いてくる。
その表情は「ちゃんとできたよ」と自信に満ち溢れていました(笑)
縄跳びは跳べてないけれど、私を見て『できたよ!』と自慢してくれること。
その『心の成長』が、私にとっては100回跳べることよりも、ずっとずっと誇らしかったです。
(でも縄跳びは一緒に練習しような)
縄跳びが終わりクラスに帰ると、班ごとに分かれて座り朝の会が始まりました。
長男、まさかの点呼お当番さん…。
家では決まったお友達の名前しか出てこない。というか班が分かれていたことさえ話してくれていませんでした。
「絶対無理フラグ」が高々と上がり、緊張で冷や汗が出てくるのが分かりました。
そんな心配をよそに、お友達一人一人のフルネームを呼び、「全部で6人、お休みはいません!」と大役をやり切った長男。
そしてスタンディングオベーションしそうなのを必死に堪える私。
チラチラ母の顔を見ながら、すこし照れた表情で頑張っていました。
点呼が終わって着席すると、母のいる後ろを振り向いて、両手で小さく◯の形を作り、また頷いてくれました。
「お母さん、見て〜僕できるんだよ!」
あの視線はそう言ってたのかなと思います。
ずっと欲しかった、心が通う視線でした。
目を合わせてくれなかったあの頃。公園で他の子を羨ましく思った日。
「この子は普通じゃないのかもしれない」と未来が見えなくなった日。
つらかった記憶が一気に込み上げてきて号泣する私。
参観日で号泣する異様な光景を皆様想像できるでしょうか(笑)
発達がゆっくりな子どもの成長は気づかないうちに積み重なっていた
2歳〜3歳の頃は、長男の未来が想像できませんでした。ずっと1人の世界で生きていくのかな?
人と関わる楽しさも知らないでいるのかな?
いつも悲観的な目で長男を見ていました。
こんなキラキラした目で見てくれるなんて想像もできませんでした。
いつの間にか、気づいたら、たくさん私の目を見て、いろいろなことを伝えてくれるようになっていました。
目が合うことがこんなに愛おしいなんて。
すぐに効果が見えなくても無駄じゃなかった
療育に通ったり、図書館でたくさん本を借りて読んだり。家でもできることはやってきたけれど、そのときは爆発的な成長を感じることはできなくて、「こんなに関わっているのに何で?」といつももどかしい気持ちでいました。
でも今考えると、成長の階段の一段は作ってあげられたのかもしれないと、親のエゴかもしれませんがそう思っています。
それでも親の努力だけではない、彼の中で芽生えた何かが尊いです。
まだ心配は尽きないけれど
そうは言っても、まだまだ心配なことや課題もたくさんある長男です。
母以外にはなかなか長時間目を合わせられないこともありますし、言葉の幼さはまだまだ残ります。でも、
・今は目が合わなくても
・今は不安でいっぱいでも
少しずつ種を蒔いていけば、その子自身の表現方法で伝えてくれる時が来るのかもしれない。頑張ってくれている長男のおかげで今はそう思えています。
完璧な成長じゃないけれど、今はこの不器用でピュアな長男がかわいい。そう思えるようになったことが、私自身の成長だったのかもしれません。
これからもたくさんの壁にぶち当たるのだろうけど、子どもたちと乗り越えて歩けたらいいなと思います。
お読みいただきありがとうございました!


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